今回から不定期になるが、「モバイルNFC」に関する歴史を少し振り返ってみたい。以前にASCII倶楽部というサイトでApple Payへと続くモバイルNFCの歴史を連載していたことがあるが、その再編集版ともいうべきものだ。過去にモバイルNFCとキャッシュレスをテーマにした連載記事をEngadget日本版に連載し、そのうちのいくつかは貴重な情報源(と筆者が考えているもの)も含まれていたのだが、Engadget日本版閉鎖のためアーカイブのほとんどは現状で閲覧が難しくなっている。
そのため、アーカイブの意味も込めて記録しておくのが狙いとなる。一部の経緯は「Apple Payが日本にやってくるまでの話」でもまとめているが、本稿で触れるのはまず「2010年から2011年にかけてモバイルNFCで業界が湧き上がっていたころ」の話題だ。
NFC発祥の地となったモナコ
冒頭でニースの画像を出したのは、「モバイルNFC」発祥の地が近郊の「モナコ」であり、この一番盛り上がっていた時代の先端を進んでいたのがニースという南フランスのリゾート地だったからだ。
なぜ今日のApple Payなどの「モバイルウォレット」につながる技術の発祥の地がモナコなのかという点だが、NFC(Near Field Communication)の技術標準を作るべく、Nokia、Philips(後にスピンオフされてNXP Semiconductorsに)、ソニーの3社で話し合いが初めて持たれた場所がモナコ市内にあるGrimaldi Forumだったことに由来する。
2004年3月にはドイツのハノーバーで開催されたCeBITのトレードショウでNFC Forumの設立が発表されており、今日の「スマートフォン(携帯電話)+NFC」の原型が出来上がった。
NFC Forumができた背景には、2000年代に見えてきた携帯電話、つまりモバイルデバイスを使ったアプリケーションの発展がある。当時、すでに非接触ICカードを使った仕組みは世界中で利用が広がっており、例えば香港では世界初といえるリチャージ型ICカードを用いた交通系システム「八達通(Octopus)」が1997年にスタートしている。
一方ですでに規格の乱立も懸念されており、市場にはPhilips(NXP Semiconductors)が開発したMIFAREやソニーのFeliCaなどのほか、互いに互換性のない規格のICカードがさらに出現する懸念もあったため、ISOで標準化する動きが進んでいた。
これが結実したのは2001年以降に標準仕様が固まったICカード標準の「ISO/IEC 14443」で、今日ではいわゆる「Type-A/B」の名称で知られるものとなる。ただ、この規格はMIFAREを発展させた仕組みであり、FeliCaの上位互換となるような仕様は盛り込まれなかった。
2000年代は「ソニーの規格が世界標準から外れた」というトピックで大きな話題となったと記憶しているが、ソニー側でも非常に大きな問題と認識していたようで、すでに獲得していたFeliCaをベースとしていた顧客が将来的にType-A/Bをベースとしたシステムに流れることを恐れていた。
実際、シンガポールや深センなどの交通系システムではFeliCaベースのものからType-A/Bベースのものへの置き換えが行なわれており、今後FeliCaを世界で推進していくうえで「世界標準ではない」という部分は大きなマイナスポイントになり得るものだった。また、モバイルデバイスへのNFC搭載が見えてきたことで、「標準インターフェイスとしてFeliCaが利用できない」という懸念もあった。
前述のISOでの反省もあり、最初から積極的に業界標準の策定に絡んでいくことでインターフェイスとしてのFeliCaをプッシュするというもう1つの意図がソニーにはあった。後にこれは「NFC-F」として成果が結実するが、モバイル時代の草創期に「NFC」という技術の標準を業界一丸となってまとめるために大きな役割を果たした点は大きい。こうした経緯もあってか、2015年ごろまでは発祥の地となったモナコ自身が「NFCの推進を国策事業」として進めていたりする。
ニースでの盛り上がり
2000年代後半、日本ではすでに「おサイフケータイ」としてFeliCaベースのNFC機能を搭載した携帯電話が多数リリースされていたが、世界的なモバイルNFCブームの展開はもう少し先の話となる。
最初期に対応デバイスを投入したのはBlackBerryのResearch In MotionとSamsungで、2010年以降に徐々にラインナップが拡大していった。BlackBerryがなぜNFCに積極投資していたのかは筆者は把握していないが、Samsungの場合はNokiaの技術者が多数合流したことが大きいといわれている。
前段のようにNFC Forumの設立メンバーであるNokiaだが、2000年代後半には携帯電話の販売不振から多数の従業員がレイオフされた。その一部、特にSymbianなどを担当していたメンバーが多数Samsungに合流したことで、同社におけるスマートフォン開発やNFC実装に関するノウハウが一気に向上し、それがリリースされる製品にも反映されたとみられる。
とはいえ、AndroidのNFC対応が行なわれたのはバージョン2.3の「Gingerbread」が登場した2010年末以降で、最初期のSamsungのNFCデバイスは同社独自OSの「Bada」を採用したものが中心だった。
この頃から、業界を挙げてNFCを盛り上げるべく、多数の展示会やカンファレンスが世界中で開催されるようになった。前述のモナコをはじめ、この分野に特に積極的だったのは携帯キャリアで、その業界団体であるGSMAは「NFC World Congress」「Mobile Money Summit」といったカンファレンスを年次開催しており、NFC普及ドライバーの1つとして機能していた。
特に2011年にニース郊外のソフィア・アンティポリス(Sophia Antipolis)で開催された「NFC World Congress 2011」では、世界各国から業界の代表的人物が集まり、2010年からニースで始まっていたNFCプロジェクト「Citizy」のデモンストレーションも実施されるなど、非常に熱気に溢れていたことを記憶している。Suica開発で知られるJR東日本の椎橋章夫氏が講演を行なったのも、このカンファレンスの中の話だ。
さてニースのCitizyだが、フランスの3大キャリア「Orange」「SFR」「Bouygues(ブイグ)」を中心に同国政府がバックアップするという一種の国策プロジェクトとしてスタートしている。まずニースを起点にNFCのアプリケーションを展開し、後にそれをフランスの主要都市へと順次横展開していく狙いがあった。
仕掛けとしては「小売店舗へのNFC読み取り可能な決済ターミナルの配備」「交通系システムのモバイル対応」「停留所にNFCタグを配置して運行情報にリアルタイムアクセス」「観光名所や美術館にNFCタグを設置しての解説サービス」といったものが用意されている。
NFC World Congress 2011の最終日には希望者にCitizyツアーが実施され、実際に体験が可能だった。ニース市内で運行されるトラムの乗車時のみSamsungのBada端末が配布されてモバイルチケットによる乗車が可能になっていたのだが、2011年当時はまだNFC対応スマートフォンや携帯を持っている参加者がほとんどおらず(筆者も持っていなかった)、さらにCitizyのアプリケーションを利用するためには専用のSIMを3大キャリアから調達する必要があり、NFCタグを読もうとしてもデータローミングができずにページを開けなかったり、各種アプリケーションの利用もできなかった。とはいえ、フランスとしても「NFC先進国」のイメージをアピールすべく、力の入っていた取り組みだったと思う。
リトアニアの首都ヴィリニュスにて
NFC World Congress 2011に参加するためにニースに行く直前、(実はその前に米カリフォルニア州アナハイムにMicrosoftのBuild Conferenceの取材に出向いているが……)リトアニアの首都ヴィリニュスを訪問していた。2011年夏に秋以降の取材予定を立てていたころ、「リトアニアのヴィリニュスでNFCの決済サービスが開始。国主導のプロジェクトで同国首相が店舗視察をしてその様子が現地TVで報じられる」というニュースを見て、急遽訪問することを決めたのだ。実際のところは、IFA取材のベルリンとアナハイムに行く間の1週間、本当はミュンヘンの友人を訪問する予定が、直前に友人の米国出張が決まってしまい日程がまるまる空いたので、埋め合わせにドイツとリトアニアを往復する航空チケットを購入しただけなのだが……。
当時のモバイルNFCで興味深いトレンドの1つは、数多くのスタートアップが誕生しただけでなく、国主導のプロジェクトがいくつも立ち上がっていた点だ。フランスのCitizyをはじめ、モナコのWIMA、そしてリトアニアの「Mokipay(モキペイ)」と、NFCで産業界を活性化させ業界をリードしようという動きが活発化していた。
Mokipayもその1つだが、この独自のプリペイド型NFC決済サービスに対応した店舗がヴィリニュス市内のいくつかにあり、観光客でさえ試すことが可能という点がリトアニア訪問を決めた理由だ。
Mokipayの展開は2011年当時にリトアニアのフラッグ携帯キャリアだったOmnitel(現在は「Telia」に改名)が行なっており、OmnitelのSIMカードとMokipayのスタートキットを購入して手持ちの携帯電話にセットすれば、すぐにでもMokipayが利用できるという触れ込みだ。
当時筆者はスマートフォンとして米国でSIMカードロックがかかったiPhone 4とSIMロックフリーのNexus Oneしか持っていなかったため、OmnitelのSIMをNexus Oneに挿入し、iPhone 4の裏にMokipayのステッカーを貼って運用することにした。Mokipayの特徴は「ステッカーでNFC機能が提供されるので、モバイルデバイス自体がNFC対応している必要がない」という部分にあり、どんな携帯電話でも利用できる点がセールスポイントだった。プリペイドなので残高チャージして使う必要があるが、リトアニアの銀行口座を持っているユーザーであればWebページ経由でオンラインチャージが可能となっている。一方で旅行者はオンラインでのチャージ手段がないため、Omnitelのショップでチャージを依頼することで残高を増やせる。
Mokipayは通常、対応リーダーにタッチするだけで支払いが完了するが、1回の決済金額が一定金額以上(日本円で約1,000円程度だった記憶がある)を越えると通知が手持ちの携帯電話にやってきて、そのメニュー操作で同意しないと支払いが完了しないようになっている。そのため、通知が受け取れないと決済ができない。だが、どうやってもNexus Oneの端末に通知が表示されない。Omnitelのキャリアショップに再び出向いて店員とサポートセンターの3者を交えて1時間半ほどやり取りした結果、「どうやらリトアニアで販売されている携帯電話でないと通知が受け取れず、Mokipayは使えない」ということが判明した。しょうがないので1万円ほど出して店舗にあった一番安いフィーチャーフォンを購入し、今度は無事に決済に進むことができた。
対応店舗は最終的に100カ所にも満たない数字で、サービスそのものも数年後には停止してしまったようだが、2010年から2011年の「モバイルNFC草創期」らしいエピソードとサービスだったと思う。
次回は、この草創期の中で明らかになりつつあった「業界の主導権争い」の話題を中心に、2011年から2013年付近のエピソードをさらってみたい。
からの記事と詳細 ( モバイルNFC草創期に何があったのか - Impress Watch )
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